ピリピ 2:1、エペソ 1:20-23

1. 「キリストにあってこそ意義がある

クリスチャンとはイエスに従って歩む人たちですが、さまざまな働きや文化や知識などに傾倒することもあります。しかし、どのようなことも、キリストにあって意味をなすものです。 「励まし、 愛の慰め、 御霊の交わり、 愛情とあわれみがある」ということにクリスチャンは喜びを感じます(ピリ2:1)。 しかし、 「キリストにあって」と書いてあります。 私たちが様々な活動をしても、私たちが 「キリストにある」のでなければ意味がないのです。

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240922

日本では長年宣教がなされてきて、クリスチャン人口はあまり増えていないようです。また、教会の数は減っていると言われています。私たちはどのようにして将来に希望をもったらよいのでしょうか。アブラムの信仰から学びましょう。

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24.9.15.

福音宣教は「エルサレム」から始まり、「ユダヤとサマリヤの全土」、さらに「地の果て」すなわち全世界に広まった(使1:8)。その福音宣教に大きく貢献したのがパウロ。パウロはどのような姿勢で宣教したのか。

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マタイの福音書 17:1-8

2024年9月8日

変貌山で主イエスの御姿が変わりました。ここにイエスの栄光を見ることができます。

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24.9.1.

一般的に、「へりくだる」ということは、「自分自身を低くする」ということと言える。しかし、「自己卑下」とは異なる。Cf.コロ2:18。自分は罪深く、愚かで、無力な者であるとあまりにも卑下し過ぎることは、へりくだることではなく、「へりくだり」という仮面を付けた「高慢」でしかない。「主の御前でへりくだる」とは、どのようなことか。

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240825

私たちは時々、努力しても何も変わらず、自分の無力さに気づいて落胆したり、絶望したり、心が疲れ果てて元気を失ってしまいます。そのようなとき、主のいやしと励ましを受けるにはどうしたら良いのでしょうか。エリヤも同様の経験をしました。エリヤの話から学びましょう。

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Ⅰコリント9:24-27

2024年8月18日

パウロは24節で、人生・信仰生活というのは、走る競技に似ていると表現しています。当時のオリンピックでは、優勝者に月桂樹の冠が与えられたようです。パウロはコリント教会の兄弟姉妹たちに「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」と勧めています。当時「賞を受けるのはただ一人」(24節)でした。彼らは朽ちる冠(金メダル)を目指しましたが、私たちは朽ちない冠を目指します。

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24.8.11.

イエスは、ガリラヤ湖で網を打っていたペテロとアンデレに呼びかけた。「わたしについて来なさい。」(マタ4:19) すると、「彼らはすぐに網を捨てて従った」(マタ4:20)。また、イエスは舟の中で父と一緒に網を繕っていたヤコブとヨハネにも呼びかかけた。すると、「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った」(マタ4:22)。イエスの「わたしについて来なさい」という呼びかけは「弟子」への招きだった。イエスは、私たちにも「わたしについて来なさい」と呼びかけている。ルカ9:57-62で、イエスは、イエスに従う者の心構えを教えている。

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I 列王 18:36,37

2024.08.04

1.行く

私たちは積極的に出て行かなければいけません。エリヤは喜んで出て行く器でした(18:1)。 神がエリヤに行くように語ると、エリヤはただ従って出て行ったのです (18:2)。

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詩篇123:1-4

2024.07.28

1. 山に向かって目を上げる

昨年私は脳梗塞で倒れ、自分の無力さに悩みました。また、宣教においてもヨーロッパでは教会が衰退し、日本でも教会数が8000から6000に減ったと聞きました。このような状況で主に目を注ぎ主の御手が動かされることに期待したいのです。

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