24.9.1.

一般的に、「へりくだる」ということは、「自分自身を低くする」ということと言える。しかし、「自己卑下」とは異なる。Cf.コロ2:18。自分は罪深く、愚かで、無力な者であるとあまりにも卑下し過ぎることは、へりくだることではなく、「へりくだり」という仮面を付けた「高慢」でしかない。「主の御前でへりくだる」とは、どのようなことか。

(さらに…)

24.8.11.

イエスは、ガリラヤ湖で網を打っていたペテロとアンデレに呼びかけた。「わたしについて来なさい。」(マタ4:19) すると、「彼らはすぐに網を捨てて従った」(マタ4:20)。また、イエスは舟の中で父と一緒に網を繕っていたヤコブとヨハネにも呼びかかけた。すると、「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った」(マタ4:22)。イエスの「わたしについて来なさい」という呼びかけは「弟子」への招きだった。イエスは、私たちにも「わたしについて来なさい」と呼びかけている。ルカ9:57-62で、イエスは、イエスに従う者の心構えを教えている。

(さらに…)

24.7.21.

「自分の十字架を負いイエスについて行く」とは、どういうことか。

(さらに…)

24.7.7.

Ⅰコリ13:5には「怒らず」と書いてある。しかし、これを実践することはかなり難しい。実際には、家庭でも、職場でも、学校でも、町でも、教会においてさえも、様々な人との関わりの中で怒ってしまうことがある。しかし、聖書は、怒りを適切にコントロールすることを教えている。

(さらに…)

24.6.16.

日頃、家族のために、一生懸命働いているお父さんたちに感謝したい。さらに、私たちの天の父なる神にも感謝をささげたい。

(さらに…)

コロサイ3:13-15

24.6.2.

この聖書箇所に書かれていることを一言で言うなら「愛による一致」と言える。

(さらに…)

使徒1:3-8、2:1-4

24.5.19.

ペンテコステの日、聖霊はどのように弟子たちに注がれたのでしょうか。

(さらに…)

収穫の働き人として出て行こう

マタイ9:35-38

24.5.5.

人々に対する主の心と私たちに対する主の求めとは何か。

(さらに…)

24.4.21.

26章では、ダビデに再びサウルを殺す機会が訪れることが記されている。ダビデの部下は、サウルを殺すように勧めたが、ダビデはどのように行動したのか。

(さらに…)

ヨハネ21:1-23

24.4.7.

イエスが復活した後、ペテロは他の弟子たちと共にティベリヤ(ガリラヤ)湖に行きました。そしてここで、イエスはペテロを再献身へと導いたのです。

(さらに…)