19.8.11.

「御霊の賜物」(1)について、「ぜひ次のことを知っていていただきたい」と言われています。ですから、私たちも「御霊の賜物」について知らなければなりません。

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19.8.4.

「聖霊のバプテスマ」について学びましょう。「バプテスマ」とは「沈める」、「浸す」という意味のギリシャ語です。ですから、「聖霊のバプテスマ」とは、聖霊の中に「沈められること」、「浸されること」、すなわち「満たされること」と言えます。

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19.7.7

聖霊は、イエス・キリストを信じる私たちと「ともにおられ」、「ともに住み」、私たちの「うちにおられ」ます。ですから、私たちは「神の神殿」(Ⅰコリ3:16)、「聖霊の宮」(Ⅰコリ6:19)と呼ばれています。私たちは、内に住まわれる聖霊について知っているでしょうか。

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19.7.14.

イエス・キリストを信じる私たちの内には、聖霊が宿っておられます。聖霊は、私たちと「ともにおられ」、「ともに住み」、私たちの「うちにおられ」ます。ですから、私たちは「神の神殿」(Ⅰコリ3:16)、「聖霊の宮」(Ⅰコリ6:19)と呼ばれています。聖霊は、私たちの内にあって、どのような働きをされるのでしょうか。

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19.6.16.

「放蕩息子の例え話」の中心人物は放蕩息子ではなく、彼を受け入れた父です。

この父を通して、父なる神がどのようなお方であるかが示されています。

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19.6.9.

「ペンテコステ」(五旬節)は、ユダヤ教の三大祭の一つですが、キリスト教会にとって、聖霊が注がれ、教会が誕生した記念すべき日です。

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19.5.19.

「バベルの塔」の話は、私たちに何を教えているのでしょうか。

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19.5.5.

イエスが復活された後、ガリラヤ湖で漁をしていたペテロや弟子たちに会われました。彼らは、一晩中漁をしましたが、何も獲れませんでした。夜が明けようとしていた時、イエスが岸辺に立っておられました。イエスは、弟子たちに言われました。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」(6) 弟子たちは、イエスの言葉通りに、「舟の右側」に網を下ろしてみました。「すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」(6)のです。その網は「百五十三匹の大きな魚でいっぱい」(11)でした。この出来事を通して、何を教えられるでしょうか。

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19.4.21.

イエスは、私たちの罪を身代わりに負って、十字架にかかって死なれ、墓に葬られました。その墓の入口は大きな石で塞がれ、封印がされ、墓の外には数人の番兵が見張っていました。しかし3日目に、イエスはよみがえり、墓から出て来られたのです。

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19.4.14.

詩篇23篇の1節は、詩篇23篇の表題となっていますが、6節は結論となっています。

ここでダビデは、大きく二つのことを語っています。

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